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作詞 シングル
記憶に残るシングルのA面。気の毒なB面や忘却した作品やアルバムの中に入ってしまったシングル候補だった歌はこの他に何十篇とあります・・・合掌。
作詞 アルバム
作詞活動が本格化したのは昭和50年頃からです。企画と全曲作詞アルバムが34枚。テーマ性の強い、従って売りにくいものを作らせて呉れた人々に感謝・・・。
ステージ
昭和47年に三橋美智也氏の芸術祭参加の舞台を構成した後、昭和50年代以後現在まで、商業劇場、コンサートホール等の構成(時に演出)がかなり多いんです。こんな人達と仕事をした思い出が・・・これからも。
放送
フリーの放送作家となって38年すぎました。あのころ25才歳です。38年どんな道を辿ったのか、思い出すままに列記してみました。忘れている仕事も沢山あるのですが・・・
出版
これが「仕事」と言えるかどうか・・・何冊かの本の出版が出来た。ほとんど絶版らしいが「ラジオ村詩集」だけは元気いっぱい!
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